数年前に出版されて、読もう、読もうと思っているうちに時間だけが経過してしまってやっとこさ読めた。
なかなかセンセーショナルなタイトル。これを読もうと思った私、渋い!と思ったね。
鵜飼秀徳:『寺院消滅』読了しました。
現在、全国に約77,000の寺院がある。そのうち住職がいない無住寺院は約20,000ヵ寺に達している。さらに宗教活動を停止した不活動寺院は2,000ヵ寺以上にも上ると推定される。
無住寺院とはつまり空き寺のことであり、放置すれば伽藍の崩壊や、犯罪を誘引するリスクがある。
しかし、多くの宗門は無住寺院や不活動寺院の実態を把握し切れていない。一部、規模の大きな教団ではサンプル調査に乗り出しているものの、仏教全体ではほぼ手付かずの状態と言える。
ましてや、この状況から脱するための対策には乗り出せていない。末端の各寺院はそれぞれが宗教法人格を有している以上、宗門本部がカネを投入したり、整理・統合を進めることが難しい。
寺を存続させるかどうかは住職の判断に委ねられている。
地方から寺院が消える日。
この本の著者の実家は、京都のお寺なんだそう。そして、「日経ビジネス」の元記者だったそうだ。
そのせいか、構成や書き方は、寺院関係者以外の者が読んでもわかりやすい工夫がしてあるなぁと感じた。
この著書の構成は、全国各地にある消滅可能性寺院を取材した記事がメインの章と、新しい寺院の形に挑戦している僧侶への取材の章。
過去の廃仏毀釈の影響や戦後の社会構造の変化で、盛衰を見せた寺院の章。
そして日本仏教各宗派の統計やデータを参考にした今後の日本仏教を分析する章。
ざっくり、私の主観で見分けるとこういう感じ。
取材やデータをもとに書かれた本だから、生々しい寺院経営の現状が描かれていて、都市と地方の寺院格差が激しさをましている。
資本主義の影響受けまくって大変だし、社会構造が戦前より変化しすぎだし。
その対応に仏教業界が追い付いていけてないし・・・・・・
さらに、宗教法人法から切り込む視点もあって、普通に勉強になったよ。
そんな、寺院が厳しい状況下に置かれている現在、明治の時にも仏教存続が危ぶまれた廃仏毀釈の時代があった。そんなピンチの時だって、寺院は立て直してきた。
1868年(慶応4年)の神仏判然令による廃仏毀釈の際には、廃寺の憂き目にもあった、祇王寺。荒廃した寺を再建したのが、花街に生きた故高岡智照であった。
智照尼は芸者の出で、旦那衆から絶世の美女と謳われた。その智照尼は左小指の第一関節から先がない。時の旦那に、一途の愛を証明するために、カミソリで切り落としたという逸話が残る。彼女は、身内の非業の死や結婚・離婚、さらには自身の自殺未遂など波乱の半生を過ごす。
そして、祇王の人生を追うようにして、39歳で出家。1994年に98歳で亡くなるまで、祇王寺の庵主を務めた。
このようなたくましい生き方をした人は、きっと数知れないだろう。
こうやって本を読んで初めて知るパターンが多いけれど、きっとその時代には、記録に残らずとも、その時代と戦ってきた人々がいたはずだと、私は思う。
だからこれから、どんどん加速するであろう寺院への逆風にも立ち向かう人々は現れてくるだろう。
そして今後AI時代に代表されるような、ロボットが多く出回る世の中になるかもしれない。
それで、今後なくなる職業は?とかで、よく騒いでるじゃん。
けれど、人間がいる以上、哲学や思想といった人間にしか分からないものは無くならないんじゃないかな。
そのジャンルのひとつとして、仏教という思想自体は、消滅することはないんじゃないかなぁと思ったヨ。
もし万が一、寺院という建物がなくなったとしても、僧侶という人物はいなくならないんじゃないかな。