田舎僧侶の暮らし

けっこう長芋が好きな坊主のブログ

読書感想文『誰の味方でもありません』

 

テレビで出ているのはよく知っているし、個人的には、スタジオの空気読まない発言する人だなぁと思っていた。あと早口。そんな印象だったし、この本以外にも本を出していることは、これをきっかけに知りました。



古市憲寿:『誰の味方でもありません』読了しました。

 

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《今日の背景》小さいおりん

 

 

エッセイ集?



この本は。「週刊新潮」で古市氏が連載していた記事をまとめたものになっていて、お題が沢山ある。

 

読書していて、「きりがいいところで終ろう。」みたいに読書に制限かけて読むパターンもあると思うけど、その読書スタイルの人には丁度いい本だなぁと思った。

 

実際、私もそのパターンで読むことが多いけど、なかなかきりがいいところが見つからなくて、気付いたら寝落ちしていることも何度かあったし・・・・



ひとつひとつのお題が、簡潔にまとめられてあるので、隙間時間でスラスラと読めてしまったこの本。



この本と書いたけど、エッセイ集と言った方が近い感じもするし、簡潔に古市氏の意見がまとめられてあるので、「こういう考え方もあるのかぁ〜」と感じるところが多かったな。

 

 

知人からドヤ街に行こうと誘われた。それ自体はいいのだが、理由を聞いて頭を抱えてしまった。

社会学者として「社会の底辺」を見ておいた方がいいと言うのだ。僕が職業柄、様々な社会階層の人に出会ったり、世界の様々な場所に赴いた方がいいことまでは同意できる。

しかし、安易に「社会の底辺」と分類してしまう態度が引っかかったのだ。もちろん、日本の平均から考えればドヤ街に住む人の平均所得は低いだろし、既存の社会からドロップアウトした人も多いかも知れない。

だけど、なぜその場所を、赤の他人が「社会の底辺」と決めつけることができるのだろう。



こうやって我々は気づかないうちに、何かを判断する時に、レフェリーになった気で判断しているのだそう。

 

確かに勝手に決めつけて判断しちゃいがち。独断と偏見ってやつですね・・・・

 

ただ、社会にはレフェリーもいなければならない。多様なレフェリーが存在した上で、多様性を認める社会になればいいのかなと。ザ・理想論。




 

さて、今日の本題はLINE。LINEでも吹き出しの隣に表示されるアイコンがあるが、これはさして重要ではない。

古市調べでは、LINEで相手の印象を決定的に左右するのはスタンプである。スタンプは、アバターと同じ役割を果たす。

つまりスタンプのキャラクターを、無意識のうちに使用者と重ね合わせてしまう。〜中略〜

要は、スタンプのキャラクターが、まるで使用者本人のように刷り込まれてしまうのだ。

そんなバカなと思うかも知れないが、対面コミュニケーションで、「人は見た目が9割」ならば、LINE上で同じことが起こっていてもおかしくない。



その視点でLINEを考えたことなかったなぁ〜って素直に思ったよ。

 

LINEでやりとりする人って私の場合大概、直接話したことある人だから、スタンプくらいじゃその人を判断する材料にはならないけど、「そのスタンプ買っているんだ!意外」って思う感じの人はいるよね。

 

あとLINEのゲーム。友達だったらゲームのランキングに表示されるじゃない。

 

そこで、「あっ、この人このゲーム好きなんだ。」とか見えるよね。たとえ対面のコミュニケーションが仲良しっていう間柄じゃなくても・・・・



まとめ

 

そういう考え方があるのね。という発見が多かった印象でした。

 

テレビでみる古市氏とは違うので、あのポーカーフェイスを想像しなくていいし、早口で喋らないので、自分のペースで読める。

 

テレビに出て喋っているよりも、古市氏が何を考えているのか、具体的にわかるような内容になっていました。

 

これを読んだ後、テレビで古市氏を見るのが楽しみだな。